みなさま、初めまして。株式会社イシカワ の石川 直生(イシカワ ナオキ)と申します。2018年4月から入社の新入社員です。
格闘技が好きな方は、もしかしたら知っている方もいるかもしれませんが、僕は2015年までプロキックボクサーでした。「ナオキック」とういう愛称をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
そんな僕が、この春にクロコダイル、パイソンなどのエキゾチックレザー販売や、それを使った財布・バッグなどのファッションアイテムを取り扱う「株式会社イシカワ」に入社しました。その経緯と今後のことについてお伝えいたします。
ナオキックと株式会社イシカワについて
「株式会社イシカワ」に入社して「石川」という苗字を持っている、ということは…そうなんです。僕の父親が、現在のイシカワの代表取締役社長であります。
僕は現役引退後も含め、今年の2月までエキゾチックレザーとは全く繋がりのない、格闘技の世界に身を置いていたのですが、祖父の代から50年以上続き、今は父が社長のイシカワを継ぎ、さらに発展させていく決意で入社いたしました。
会社での作業を社長である父に教わりながら、
「こうやってずっとお仕事をして育ててもらえて、今があるんだなぁ…」
と、感慨深く文字通り背中を見ながら、会社業務を吸収しております。
ヒーローに憧れた少年時代
小学生の頃は父とキャッチボールをして褒められることが嬉しく、毎日ボールとバットを持って駆け回っている野球少年で、中学生までは「野球選手になること」が将来の夢でした。
小学2年生の時に、父と初めて東京ドームに行った時のワクワクは今でも覚えています。
一方で物心ついたばかりの頃にキン肉マンとアントニオ猪木に憧れて、「強さ」を追求するヤンチャな男の子でもありました。
そういう中で小学校の高学年になった頃から、2、3ヶ月に一回くらいのペースで会場でプロレスを観に行くようになりました。日本武道館、両国国技館、後楽園ホール…etc。
母と行ったり、友達と行ったりする中で、帰り道にいつもこう思っていました。
「今日も沢山勇気をもらったなあ。俺もまた明日からがんばっていこう!」
リングで戦う強くてカッコいいレスラー達に沢山の力をもらっていました。
15才の夏、キックボクシングを始める
そして僕が中学一年生になった頃、K-1という格闘技がテレビで放送されるようになり、格闘技ブームがやってきました。
中学生になるとプロレス会場に一人で行くようにもなり、少しずつ自分の将来へのイメージも変わっていき、ある時の会場からの帰り道でこう思いました。
「俺もいつか沢山の勇気を与えられる強い男になりたいな」
…つまり「格闘技を始めたいな」と思うようになっていったのでした。
テレビではプロレスやK-1をはじめ、毎週のように格闘技が放送されていて、世はまさに格闘技ブーム。
格闘技をはじめるなら、プロレスラーのような大きな身体でなくても戦える階級別の格闘技がいいと思い、またハイキックで相手を倒すレスラーやK-1ファイターに惹かれていたので、キックボクサーになる!という思いが強くなっていきました。
そして中学三年間の野球部でのクラブ活動を卒業した15才の夏の8月19日、葛飾区にある「青春塾」というジムに入門してキックボクサーとしての道がスタートしたのでした。
ちなみにその時の父との約束は、「プロにはならないこと」でした。
プロデビューと父との衝突
ジムに入門してからは日曜日以外ほぼ毎日練習に通い、頭に描いているヒーロー像へ近づいていくことを楽しんでいました。
まるで子供が絵本を読んでいるかのように、辛い練習も楽しみながらキックボクサーとしてスクスクと強く成長していきました。
高校生になるとアマチュアの大会で優勝し、19歳の時にプロデビュー戦が決まりました。
試合が決まったことを父に報告すると、
「何を言ってるんだ!?プロにはならない約束だろ。駄目に決まってるだろ!!」
と、文字では伝わらないくらい強い反対をされました。
キックボクシングだけで生活することは難しいこと、
怪我をしてしまうこと、
父が思い描いていた息子の将来像と違うこと、
色んな理由から反対をされるのは当然のことでした。
それまであまり父に反抗をしたことはなかったのですが、
「俺の人生なんだよ!!」
と、今までで一番強く言い返して、
「それなら勝手にしろ。どうなっても自分の責任だからな。」
プロになることを認められた…わけではないけど、応援してもらっているわけでもない。
心配しながらも、どこかで息子の選択を見守ってくれる…というような距離感で、デビュー戦を迎えました。
プロデビュー。そして日本チャンピオンに!
19歳でプロデビュー。
後楽園ホールで開催された試合には、両親を含め大勢の仲間が応援団として駆け付けてくれました。
そして、プロデビュー戦はKO勝利こそできなかったものの、無事に勝利を掴むことができました。
父も、
「よくやったな。ここまできたんだからやれるところまでやってみろよ。」
と、やっぱり手放しで応援してくれているわけではないけど、デビュー戦の勝利を喜んでくれました。
その後はアルバイトをしながら練習をして2~3ヶ月に一度のペースで試合を続け、勝ったり負けたりを繰り返し、格闘技の雑誌に取材されることも増え、少しずつプロの選手として名前も売れてくるようになりました。
そして2006年1月4日、26歳で掴んだ初のタイトルマッチ。勝てば日本チャンピオン。
その試合をKO勝利で飾り、第2代全日本スーパーフェザー級王者という栄冠をつかみました。
チャンピオンになった瞬間、自分の喜び以上にまわりのみんなへの感謝の思いが溢れ出てきました。
「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」
リングの上から見えるジムの仲間や応援してくれている友達、そして両親。
ここまでこれたのはみんなのおかげ、と心の底から実感できました。
いつも心配をしてくれていた父
チャンピオンになったことで活躍させてもらえる幅も増え、プロ野球のようなメジャースポーツではないけれでも、「日本一」になったということを実感していくようになりました。
この頃は母も姉も、一番のサポーターといっても過言ではないくらいに、僕の試合を毎回楽しみにしてくれていました。
ただ父だけは、
「ここまできたら辞めろ、とは言えないけど、いつまでやるのかはやっぱり心配だよ。辞めた後のことも考えておかないと…。」
と、親としていつも現実的なことの心配をしてくれていました。
「夢先生」として日本全国へ
選手としての活動と並行して、2012年から「夢先生」というプロジェクトに参加させていただくようになりました。
これはJFA(=日本サッカー協会)が実施している活動で、アスリートが日本全国の小学校に派遣され、小学5年生に向けて「夢」についての講演をする、というものです。
http://www.jfa.jp/social_action_programme/yumesen/
夢を持つことの素晴らしさ、楽しさ、厳しさ、を子供たちの人生の先輩として、また、夢を達成した先生として、子供たちにその価値を伝えていく活動をしています。
これまでに60校、2000名を超える子供たちと出会ってきました。
この夢先生の活動は今後、イシカワの会社事業の1つとして継続させていただくことになっています。
ナオキック」として大活躍!そして引退…
チャンピオンになってからは、
「軽量級のキックボクシング界は俺が引っ張っていくんだ!」
と声を大にしてアピールを続け、強い相手との試合を重ね「ナオキック」の愛称で名前を覚えてもらえるようになっていきました。
キャリアも重ねてベテランになっていくとぶち当たるのが、年齢の壁と身体のダメージ。
現役生活15年を超えプロ戦績も60戦を超えた頃に、今までの身体とは変わってきていることをリングの上で実感するようになっていきました。
練習ではスタミナもパワーも上がっているのに、いざリングに上がると相手からの攻撃への反応が一瞬遅れてしまう。
今までだったら避けることが出来たのに避けれない。
今までだったら倒れないのに倒れてしまう。
キャリアを重ねることで蓄積した頭と脳のダメージ。
このまま続けることと、この先の人生。
約一年、悩み真剣に考え、2015年9月12日、引退セレモニーを行っていただいて最後の花道を歩きリングを降りました。
そしてイシカワへ…
引退後は、「NAOKICKS」というキックボクシングのエクササイズを各地で開催、夢先生としての活動、キックボクシング中継の解説、葛飾区で空手道場「直心塾」で空手の指導、と、現役時代の経験を元にして色々なことをしてきました。
また、僕は昔からファッションが好きだったこともあり、現役時代に自分の好きなブランドのデザイナーさんとの交流も増えていきました。
ある日の数年前、僕の大好きなブランドのデザイナーさんとお話しをしていた時。
「直生のお父さんって何をしている人なの?」
浅草で50年以上続くエキゾチックレザーの会社を経営していることをお話しすると、
「え~~~そうなの?もっと早く言ってよ。ぜひ紹介してほしいな。」
という流れで、僕の大好きなブランドとイシカワの縁が繋がって取引をさせていただくことになりました。
そういったこともあり、現役時代の30歳を過ぎた頃から、
「おじいちゃんが創ってくれた会社を、いつか俺がもっと大きく発展させることができたらいいな」
という思いを持つようになりました。
そして今年の2月に、父とお互いが考えている「将来」についての話し合いをしました。
「家族」の将来。
「イシカワ」の将来。
ずっと好きなことを続けてきたけど、「いつか」と思っていたエキゾチックレザーの世界への転身をするのは今しかない!という決意をして父に「イシカワで一緒に働かせてほしい」という思いを伝えました。
しかし、40歳を目前にする年齢まで好きなことを続けてきて、「社長の息子」だからといって簡単に入社が許されるほど、世の中は甘くありません。
…が!!専務をはじめとする社員の皆さんに、思いを本気で伝えさせていただきました。
必ず、僕がさらなる会社発展のキッカケになってみせます、と。
そして今年の4月から、イシカワの新入社員として仲間入りをいたしました。
最後に
キックボクシングを始めたときは「チャンピオンになる」という、わかりやすい目標がありました。そしてそのためには、沢山の練習をしていけば良い。
エキゾチックレザーの世界で「練習」に当たるモノというのは、皮革のことを覚える、新しい商品を企画する…etc、多岐に渡ります。
今の僕の目標は、自社ブランド Rio de piedra をもっと知名度のある人気ブランドにすること。クロコダイルやパイソンなどのアイテムを、皆さんにもっと身近なものにする、ということです。
そのために社長である父、従兄弟である専務、そして先輩社員の皆さんを師と仰ぎ、日々の業務を一つ一つ覚え、目標達成のスタート地点に立つために精進しています。
イシカワの経営理念でもある「個性的な経営」を大切にし、皆様にとってより良い会社になっていくように頑張っていきます。
まだまだ新米社員ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Naokick’sDiary 石川直生オフィシャルブログはこちら